【小田さんファン必見】小田和正が語る、オフコース結成からソロ活動へ

2019年2月19日

前回は音楽を始めたきっかけ、オフコース結成までを紹介しましたが、それ以降どうなっていったのかを、書きたいと思います。

 

【関連記事】音楽を始めたきっかけとは

 

【関連記事】ソロアルバムの紹介です。

 



 

オフコース時代の作曲

1stアルバムの「僕の贈り物」をリリースしますが、反戦をテーマにした関西フォークが全盛の時代に、このアルバムをリリースした事は、日本の音楽シーンに大きな影響を与えたことでしょう。

 

「日本のカーペンターズ登場」とレコードの帯に書かれていました。

 

作曲についても、ほとんど録音はせずに、譜面を使っており、今でもコーラスなんかも細かく書いて作曲していると語っています。

 

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このアルバムにつていは、歌詞が付いていたから何となく何を歌いたいかわかる位のレベル、知識はすべて注ぎ込んでも解決できない事、例えば転調したけど戻れない等々、色々あったようです。

 

 

 

周りにそういう知識を持った人がいなかったようで、鈴木康博氏が通っていたヤマハ教室で出会った教則本で勉強したりチャイコフスキーのスコアからコーラスの知識を習得したりと独学で学んでいました。

 

そして「ワインの匂い」は500時間を超えるスタジオ使用時間で評判になりました。



 

バンドへの過程

小田さん自身はバンドへの抵抗があり、かなり試行錯誤したようですが長いステージにはバンドが必要でした。

 

ロックバンドはよく理解できないし、周りはビートルズや、レッド・ツェッペリンをコピーしている人ばかりですし、当時はバンド=洋楽でコピー全盛期でしたから、独自の音楽性を考えると躊躇するのは当然でしょう。

 

「Three&Two」でバンドの音作りが確立されますが、イーグルス、ドゥービー・ブラザーズ、ボコのイメージでジェームス・テイラーとかも聴いていたようで、バンドスタイルの確立へ影響していたと考えられます。

 



 

 

解散からソロ活動へ

1979年「さよなら」をリリースしブレイクしたオフコースですが、1980年発表の「We are」の時には鈴木康博氏がバンドを脱退すると言って、小田さん自身は彼不在で音楽を続ける気は無く、解散を決めていたと語っていました。

 

1982年以降は名曲を多くリリースしていますが、「やらなくても良かったかなぁ」とも話していました。

 

1986年にオフコースとして活動しながら、バンドがあまりうまくいっていなかった事も影響し、ソロアルバム「K.ODA」をリリースします。

 

そしてファンに惜しまれながらも、1989年2月26日東京ドーム、「The Night with Us」でオフコースは解散します。

 

 

ソロ活動

ご存知の通り1991年「ラブ・ストーリーは突然に」をリリースし、オフコース時代に叶わなかった、「オリコンシングルチャート第1位」「シングルミリオンセラー突破」を一挙に成し遂げました。

 

この後は映画を製作したり、オフコース時代にはあり得なかった「クリスマスの約束」でのテレビ出演、若手ミュージシャンとのコラボ等々、精力的に音楽活動を続けています。

 

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今聴いても良い歌ですし、今でもライブをすれば常に満員に出来るのは、過去色んな事があり、乗り越えてきたからこそなんだと良くわかりました。

 

これからも小田さんの歌は聴き続けます。

 

 



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Posted by mrt